こんばんは、司法太郎です。
商業登記の理論編講座も、いよいよ役員・機関に関する登記に突入しました。
ここに来ると、空気が一段階変わります。
条文の確認だけでは済まない。
「登記できる・できない」だけでも足りない。
記述を意識した理解が、否応なく求められるゾーン。
……そして、今日、はっきりと自覚しました。
やばい。
解法講座、まだ聞いてない。
■ 「解法講座を聞いた方はわかると思うけど」
講義を聞いていると、最近やたらと増えてきたフレーズがあります。
「記述の解法講座を聞いた方は、もうわかると思うんですけど」
……いや、わからないです。
だって、聞いてないから。
先生はさらっと言うんですよ。
- 「権利義務の役員は三角で処理して」
- 「補欠取締役は登記されないけど、メモはしておくと解法講座で言いましたよね」
- 「ここ、解法講座だと典型的な処理です」
あぁ〜……
聞いてない、聞いてない、聞いてない。
この瞬間の、
「自分だけ取り残されている感」
これ、地味に効きます。
■ 理論はわかる。でも“解き方”が見えない
理論編の講座自体は、決してわからないわけじゃない。
- どの役員が登記されるか
- どの機関設計が可能か
- 条文の根拠はどこか
そこまでは、なんとかついていけている。
でも、先生の話を聞いていると、
明らかに「記述答案の組み立て」を前提にした視点が混じっている。
「ここは実体法上こうだけど、記述ではこう処理する」
「答案上はここを落とすと致命的」
「この情報は登記しないけど、判断材料として必要」
――このあたりは、
理論編だけ聞いていても、ピンとこない。
そして、その“ピンと来なさ”が、
じわじわ不安に変わっていく。
■ 今日のタスク、まだ終わってないのに…
正直に言うと、
今日の予定タスク、まだ全部終わってない。
それなのに、
「解法講座を少しでも聞いておかないとヤバい」
という気持ちが、どんどん大きくなってきました。
こういうとき、ありますよね。
・今やっていることを中途半端に感じる
・でも別の“気になること”が頭から離れない
・集中が分散して、どっちも中途半端になりそう
でも、今日は決めました。
なんとか今日のタスクを急いで終わらせて、
解法講座を“少しだけ”でも聞く。
全部理解しようとしなくていい。
完璧に消化しなくていい。
まずは、
「どんな視点で記述を見ているのか」
「どこが頻出ポイントなのか」
それを先に知るだけでも意味がある。
■ 解法講座は“予習”にもなる
冷静に考えると、
解法講座を先に聞くことには、意外とメリットもあります。
理論編ではまだ扱っていない論点でも、
- 「ここは記述で問われやすい」
- 「この判断ができるかが分かれ目」
- 「この条文は答案に出てくる」
といったゴールの形を先に見せてくれる。
これって、
あとから理論編を勉強するときのモチベーションが全然違う。
「なんとなく聞く条文」から
「あとで記述で使う条文」へ。
勉強の重みが変わるんですよね。
■ 去年の自分なら、ここで止まっていた
去年だったら、
きっとここでこう思っていました。
「もう無理」
「追いつけない」
「解法講座なんて後でいいや」
そして、
結局聞かずに進んで、
後からもっと混乱していたはず。
でも、今年は違う……はず。
完璧じゃなくていい。
全部同時にやろうとしなくていい。
気づいた今が、修正のチャンス。
■ 急げ、自分。でも、慌てるな
焦っているのは事実。
でも、パニックにはなっていない。
「やばい」と思えたのは、
ちゃんと全体を見ようとしている証拠でもある。
だから今日は、
- 今日の理論編タスクを急いで終わらせる
- 解法講座を少しだけ聞く
- “役員・機関登記の見え方”をつかむ
これで十分。
一気に取り戻そうとしない。
でも、放置もしない。
急げ、自分。
でも、走り方は間違えるな。
司法太郎、
今日は少しギアを上げて、机に向かいます。


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