勉強ってのは、この国で許された唯一の平等なんだ!

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「勉強ってのはな、この国で許された唯一の平等なんだ!」
――このセリフ、ご存じの方も多いと思います。人気ドラマ『ドラゴン桜』の名場面で語られた言葉です。

受験をテーマにした作品の中でも、特に多くの人の心に突き刺さった名言ではないでしょうか。
実際にこのセリフを耳にした瞬間、私も思わず背筋が伸びるような感覚になりました。

世の中は本当に不公平です。生まれた家庭、育った環境、持って生まれた体力や資質、親の収入、学歴、人脈……。すべての人が同じスタートラインに立てるわけではありません。
でも、このセリフが教えてくれるのは、「勉強の場だけは、誰にでも平等に挑戦できる」という事実です。

そして、これは大学受験だけの話ではありません。
司法書士試験だって、まさにこの「唯一の平等」を体現する場だと、私は感じています。


東大受験と司法書士受験の共通点

『ドラゴン桜』は、東大受験を舞台にした物語です。
誰にでも門戸が開かれているけれど、合格できるのは限られた人だけ。
そこに至るまでの過程は努力と覚悟でしか切り開けない――その厳しさと希望を描いています。

司法書士試験も、まったく同じです。
出題される法律の知識は、法学部を卒業した人だけのものではない。
テキストや過去問は、年齢や職業、経歴に関係なく、誰にでも手に入る。

試験会場の机に向かえば、全員が「受験生」という同じ立場に立たされる。
そこに必要なのは肩書きではなく、ただ一つ――勉強に向き合ってきた時間と努力だけです。

だからこそ、司法書士試験には10代から60代まで、本当に幅広い世代が挑戦しています。
会社員も、公務員も、主婦も、自営業も。
人生経験や職業はまるで違うのに、同じ問題に頭を悩ませ、同じ条文を暗記している。

その光景はまさに、「勉強はこの国で唯一の平等だ」という言葉を体現しているように思えるのです。


不公平な世の中での、数少ない「救い」

私たちは誰もが、生まれながらにして不公平を背負っています。
経済的に恵まれている人もいれば、そうでない人もいる。
健康で長時間勉強できる人もいれば、体調や事情で制限のある人もいる。

就職や昇進の場面では、実力よりも人脈や運がものを言うこともしばしば。
努力が必ず報われるわけではないのが、社会の厳しい現実です。

そんな中で、勉強というものが持つ「努力すれば伸びる」「知識は裏切らない」という側面は、ある意味で希望です。
もちろん一朝一夕に結果が出るわけではありません。
何度も挫折しそうになります。
それでも机に向かえば、その時間は確実に自分の力になる。

社会の理不尽さを前にしても、「勉強だけは平等」という一点に賭けられること。
これは私たちに与えられた、数少ない救いなのだと思います。


司法書士を目指す人々の多様さ

司法書士試験に挑戦する人のバックグラウンドは驚くほど多様です。

  • 昼間は会社員として働き、夜遅くから参考書を開く人。
  • 育児や家事の合間を縫って、毎日30分ずつ勉強を重ねる人。
  • 定年退職後に「第二の人生の目標」として資格を目指す人。
  • 若いうちに手に職をつけようと、20代で全力投球する人。

境遇は違っても、試験のルールは全員に等しく課されます。
その平等さが、挑戦者の心をかき立てるのです。

そして、同じ目標を持つ人々の存在は、孤独な勉強を支える大きな力になります。
試験勉強という過程そのものが、世代や職業を超えた人とのつながりを生み出しているのです。


平等であるがゆえの厳しさ

もちろん、「平等である」ということは、裏を返せば「誰にでもチャンスがあるが、誰も特別扱いされない」ということです。
勉強を積み上げた人だけが、合格という切符を手にできる。

経済的に予備校へ通えない人は独学で工夫するしかないし、記憶力や集中力に自信がない人は時間で補うしかない。
つまり「努力の総量」が問われる。

その厳しさこそが、司法書士試験の平等さを証明しています。
逃げ道はなく、正面から挑むしかない。
だからこそ、合格の価値は揺るがないのです。


最後に

『ドラゴン桜』の名言――
「勉強ってのは、この国で許された唯一の平等なんだ!」

この言葉を、司法書士試験に挑戦する中で、何度も思い返しています。

社会は理不尽です。スタートラインは不公平です。
でも、少なくとも試験会場の机の上だけは、全員が同じ条件で戦うことができる。
努力が報われる可能性が残されている。

だから私は今日も机に向かいます。
そして同じように司法書士を目指す仲間たちと、
この「唯一の平等」に賭けて、自分の未来を切り拓いていきたいと思います。

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