今日は、受験勉強をしているときに思わず「いやいや、それは違うでしょ」と心の中でツッコミを入れてしまった、小さな出来事について書いてみようと思います。テーマは、なんとも地味ですが、漢字です。
それも、
巳・已・己
この三つ。
パッと見ただけでは、「え?何が違うの?」と思う人も多いのではないでしょうか。正直、日常生活では、ここまで厳密に区別しなくても困ることはほとんどありません。でも、司法書士試験の勉強をしていると、こういう細かいところが、やたらと気になってくるから不思議です。
まずは、それぞれを整理してみます。
最初の「巳」。
これは比較的わかりやすいですね。「み」と読みます。蛇。十二支の一つです。年賀状や干支の話題で目にすることも多いので、三つの中では一番なじみがあるかもしれません。
次に「已」。
これは「い」と読みます。「已然形(いぜんけい)」という言葉で、国語の授業でも登場しました。意味としては「すでに」「やんだ」といったニュアンス。漢文などでは、それなりに重要な役割を果たす字です。
そして最後が「己」。
これは「き」。
甲乙丙丁戊己(こう・おつ・へい・てい・ぼ・き)の「己」です。「自分自身」という意味でも使われますし、法律の世界でも、「自己」「己のために」など、意外とお目にかかる漢字です。
こうして並べてみると、それぞれ読みも意味も違う。
にもかかわらず、形があまりにも似ている。
横線があるかないか、曲がり方がどうか。その程度の違いです。受験勉強で目が疲れている状態だと、「もう全部同じでいいじゃないか……」と投げやりになりそうになります。
さて、なぜ急にこんな話をし始めたのか。
きっかけは、司法書士試験の記述対策の講義でした。
講師の先生が、ある設例を読み上げたときのことです。登場人物の名前が「己野六郎」。この名前を、先生が
「いの・ろくろう」
と読んだのです。
その瞬間、頭の中で警報が鳴りました。
いやいやいや。
「いの」じゃないでしょう、と。
これは「己」なんだから、「きの・ろくろう」でしょう、と。
もちろん、講義を止めてツッコミを入れるわけにもいかないので、心の中で静かに突っ込みました。でも、こういうところが気になってしまうのが、試験勉強をしている人間の悲しい性(さが)です。
おそらく先生も、深い意味があって「いの」と読んだわけではないと思います。単なる読み間違いか、あるいは一瞬「已」や「巳」と混同したのかもしれません。
ただ、この出来事をきっかけに、改めて思いました。
漢字一字の違いって、侮れないな、と。
司法書士試験では、特に記述式問題において、名前や地番、数量などを正確に書くことが強く求められます。読みを間違えると、書く漢字も間違える。漢字を間違えれば、減点、場合によっては致命傷です。
択一なら、多少の読み間違いはごまかせることもあります。でも、記述はごまかしがききません。
だからこそ、「己」と「已」と「巳」の違いのような、一見どうでもよさそうなところにも、自然と目が向いてしまうのです。
それにしても、漢字というのは面白い。
意味も読みも全く違うのに、ここまで似た形をしている。これを作った昔の人たちは、どこまで意識していたのでしょうか。書きやすさの問題なのか、それとも何か思想的な背景があったのか。
理屈を考え始めると、つい脱線してしまいますが、こういう寄り道も、勉強の合間のちょっとした楽しみだったりします。
考えてみれば、法律の条文も似たようなものです。
一見すると同じような文言なのに、助詞が一つ違うだけで意味が変わる。「及び」と「又は」、「かつ」と「又は」。これも、勉強し始めた頃は「細かすぎるだろう」と思っていました。
でも、試験や実務では、その「細かすぎる違い」が決定的になります。
漢字一字、助詞一つ。
そこに神経をすり減らすのが、司法書士試験なのかもしれません。
今回の「己野六郎」事件(自分の中では事件です)も、そうした感覚が研ぎ澄まされてきた証拠だと思うことにしました。以前なら、聞き流していたかもしれません。
今は、「あれ?」と立ち止まれる。
それだけでも、少しは成長していると思いたいところです。
というわけで、今日は巳・已・己という、地味だけれど奥深い三つの漢字の話でした。
受験勉強をしていると、こういうどうでもいいようで、実は大事なことに気づかされる瞬間があります。それを楽しめるかどうかで、勉強生活の質も少し変わる気がします。
明日もまた、テキストとにらめっこ。
次はどんな漢字や言葉にツッコミを入れることになるのか、自分でもちょっと楽しみです。


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