司法書士という資格が今、熱い理由

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ここ数年、司法書士という資格が改めて注目を集めています。

かつては「不動産登記や商業登記を専門に扱う士業」というイメージが強かった司法書士ですが、社会の変化、法改正、そしてメディアの影響が重なり、今や新しい役割と期待を背負う存在になりつつあります。

なぜ今、司法書士が「熱い」のか。その背景を整理してみましょう。


Netflixで話題になった「地面師」と司法書士の存在感

まず世間の関心を集めるきっかけの一つは、Netflixのドキュメンタリーやドラマで取り上げられた「地面師」事件でしょう。

地面師とは、他人の土地を勝手に売却しようとする詐欺師のこと。
巨額の詐欺事件に発展したケースも多く、ニュースで耳にした方も多いはずです。

この地面師問題の本質は、「不動産登記の仕組みを悪用して、所有者になりすます」ことにあります。司法書士はまさに登記の専門家として、本人確認や登記申請を担います。したがって、地面師を防ぐ最前線に立っているのが司法書士なのです。

ドラマを通して「こんな事件があるのか」と驚いた人たちは同時に、「司法書士の仕事がなければ、不動産取引の安全が守られない」という事実に気づかされました。ある意味で、司法書士が社会インフラを支えていることが可視化された瞬間だったといえるでしょう。


相続登記が義務化され、司法書士の需要が急増

次に大きな変化は、2024年4月から始まった「相続登記の義務化」です。


これまで、親が亡くなって土地や家を相続しても「とりあえずそのまま」にしているケースが多くありました。しかし放置すればするほど、名義は古いまま、相続人は増え続け、誰が権利を持っているのか分からなくなる…。いわゆる「所有者不明土地」の温床になっていたのです。

この問題に対応するため、法改正によって「不動産を相続したら3年以内に登記しなければならない」と義務づけられました。違反すれば過料の対象にもなります。

つまり、今後は「相続が発生したら司法書士に依頼して登記を済ませる」という流れが一般化します。これは司法書士にとって大きな追い風ですし、同時に社会にとっても不可欠な仕組みの定着です。


所有者不明土地問題という社会的課題

司法書士が熱いと言われる最大の理由は、やはり「所有者不明土地問題」の存在です。

日本では現在、国土の約2割が「所有者不明」と推計されています。これは九州全土に匹敵する広さとも言われ、今後さらに増えていくと予想されています。

この問題が特にクローズアップされたのは、東日本大震災の復興事業の際でした。土地区画整理や防潮堤の建設を進める上で、土地の所有者が分からず工事が進まない――。行政も企業も困り果てる事態になりました。

そこで国は相次いで法改正を行い、

  • 相続登記の義務化
  • 所有者不明土地の利用ルール整備
  • 土地国庫帰属制度の創設

などを打ち出しました。しかし、これらの仕組みを実際に現場で運用し、個々の土地について法的に整理していくのは簡単なことではありません。その最前線に立つのが司法書士です。

司法書士は「法律と土地の現実をつなぐ専門家」として、所有者不明土地の解消に欠かせない役割を担っています。


これから司法書士がさらに必要とされる理由

以上の背景から、司法書士の仕事は今後ますます増えると考えられます。具体的には次のような場面で需要が高まるでしょう。

  • 相続の場面
    義務化により相続登記は必須。さらに遺産分割協議や相続放棄など、家族ごとに異なる事情に応じた手続きが必要です。
  • 不動産の売買・再開発の場面
    所有者不明土地を整理しなければ、都市開発や地方の再生は進みません。司法書士はその調整役として重要な役割を果たします。
  • 企業法務や商業登記の場面
    スタートアップや中小企業の法人設立・登記手続きでも、司法書士の力が欠かせません。
  • 高齢化社会の財産管理の場面
    成年後見制度や家族信託など、新しい法的仕組みが広がる中で、司法書士は市民の身近な相談役になっています。

つまり司法書士は「登記の専門家」にとどまらず、「土地と人と社会をつなぐ法務の専門家」へと進化しているのです。


まとめ:司法書士はこれからの日本に不可欠な資格

Netflixの影響で一般の人が司法書士の存在を意識するようになり、相続登記の義務化や所有者不明土地問題を背景に、司法書士は社会的にも不可欠な存在になっています。

司法書士は、表舞台で派手に活躍する職業ではありません。けれども「土地と権利の安全」を守る裏方として、日本の未来に直結する仕事をしています。これから先、相続も不動産も避けて通れない時代において、司法書士はますます頼られる資格となるでしょう。

今、司法書士が「熱い」と言われるのは決して一過性の流行ではなく、時代の必然なのです。

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